
1970年〜1980年にかけて、マスコミは校内暴力や様々な子どもの問題を取り上げていました。私たちが、たまたまそのことについて話しているときに、グループの中の一人が、その原因は子どもが自然に接しなくなったことと、ガキ大将グループの消失にもあるのではないか、といい出しました。そういえば私たちが子供の頃、いくつものガキ大将グループがあって、その中で、縦割の人間関係や社会のルールなどを学んでいたんだなあ、という話しも随分出てきました。
だったら、子どもたちを自然の中に放りこんで、ガキ大将学校を開いたら面白いじゃないか、という声が出て、ではやってみようということになりました。そして、多少悪いことをやってもよい、そのかわりその始末を本人にさせる、期間中何らの規制も加えない、けがをたくさんさせる、というスクールの骨格ができあがっていきました。

ガキ大将学校をやってみたいという考えが固まった後、ではそれを一体どこでやればいいかという点について議論が行われました。その結果、群馬県で自然が一番豊富であり、今後その自然が破壊される恐れがない場所として上野村が最もいいのではないかということになりました。

1970年代後半から、ユース・ホステルの会員だった若者達が、群馬県ユース・ホステル協会に出入りして知り合い、意気投合して作ったのが“ガキ大将・スクール”という団体です。1981年、群馬県の観光キャンペーンで最大のイベントだった「上州筏利根川下り」を行ない、その後、利根川での筏下りの大会、「チャレンジ・オブ・利根」を創設しましたが、ガキ大将・スクールの運営に力を入れるため、同大会は第3回をもって他団体に開催権を委譲し、その後は各種自然体験活動を専門的に実施する団体として発展してきました。
また、ガキ大将・スクールは、1985年、財団法人日本ユースホステル協会から全国で初めて「研究指定グループ」の指定を受けました。
ガキ大将・スクールは、群馬県ユースホステル協会の協力団体として、ユース・ホステル運動の一翼も担い、現在では群馬県ユースホステル協会の事務局業務も行っています。
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